官僚になれなかった夏

はじめまして。ブログ初心者のNao-Naoと申します。このブログでは日常の時事問題や公務員試験の勉強・受験時の心構え、就職活動等について書いていきたいと考えております。何卒よろしくお願いいたします。

★【ニュース】竹島問題について★

こんばんは。

Nao-Naoです。

 

この記事を読んでくださっている読者の皆様は、私が毎日毎日、韓国の話題ばかり追っているとお考えかもしれません。

しかし、本当に!韓国の粗探しをしているわけではないのです…ただ、最近は韓国関係のネタが多いだけで…

 

今回は、「竹島問題」です。

昨日には島根県に属する日本固有の領土である竹島付近にて、何故か韓国軍の戦闘機がロシア軍のA50早期警戒管制機に対して総計360発の威嚇射撃を行いました。

www3.nhk.or.jp

そして、日本の固有の領土である竹島付近の空域において、韓国軍が自衛隊に許可を取ることもなく、実弾の使用に踏み切ったことについて、日本はロシアに対する「竹島空域の領空侵犯」と併せて厳重に抗議しました。

www3.nhk.or.jp

竹島問題の歴史は意外と浅く、1947年に初めて韓国の新聞が漁業関係の問題に絡めて記述したのが始まりです。日本の漁船は1945年の終戦以来、マッカーサー・ライン(日本が漁業を営んでも良い限界線)の内側でしか漁業を行ってきました。また、連合軍総司令部(GHQ)は竹島付近への日本人への接近を禁止していました。

この措置は一時的なものであり、恒久的なものではありませんでしたが、当時、国際連合(実際はアメリカ)の庇護の下に成立した韓国政府はこのラインをアメリカが引いた国境線であると錯覚してしまいました。

日本がこのマッカーサー・ラインの緩和について外交交渉を行うと韓国は「日本帝国主義朝鮮半島を再侵略しようとしている」と猛反発しました。

その後、朝鮮戦争の最中にあった韓国は1952年、一方的にいわゆる「李承晩ライン」を設定し、マッカーサー・ラインの固定化を図りました。

この一方的な宣言は暗に韓国による対米交渉が失敗したことを示していました。韓国が望んでいたのはマッカーサー・ラインの固定化であり、竹島は韓国領であるとの明記であったのです。しかし、アメリカは韓国の要請に対して、明確にマッカーサー・ラインの継続を拒絶し、また韓国が主張する竹島の領土問題についても、「竹島は1905年ごろから島根県隠岐支庁の管轄下にあり、これまで朝鮮領土として扱われたことはなく、領土主張がなされたとも思わない」とラスク書簡で返答しました。

しかし、「李承晩ライン」は一方的に設定されました。この思想的背景には「日本に対する精神的優越感」があったと推測できます。

なぜなら、韓国はアメリカ軍政庁の軍事占領から解放されたのが1948年8月15日、日本がサンフランシスコ講和条約に調印し、完全な独立を回復したのが1951年4月28日であることから、「先に独立したのは私達だ!」という気概を持っていると考えられるからです。この態度は当時の外交関係文書からも読み取ることが出来るので、是非見ていただきたいと思います。

 

一つ、韓国側の誤解を解いておくと、日本がアメリカからなされた統治は「間接統治方式」であり、既存の天皇制や帝国議会、地方行政を用いた形で占領政策が行われました。つまり、部分的ながらも主権は存在していた統治方式と考えることが出来ます。

一方の韓国はアメリカ軍政庁による「直接統治方式」でした。この方式は当時韓国内に出来ていた独立のための準備機関である朝鮮建国準備委員会(建準)が組織していた各道の支部を解散させ、旧朝鮮総督府の一部機関を復活させることでアメリカ軍政庁に極めて都合の良い統治を行うことを目的としたものであり、主権は認められていない統治方式と言えるでしょう。

以上のことから、日本の独立は侵害されたにせよ、途絶されたわけではなく、太古の昔からの独立は維持されていたとみなすことが出来、韓国の優越感は誤った認識に基づいた気概であると言えると思います。

 

この竹島問題、解決は極めて難しいと言わざるを得ませんし、事実、外交交渉だけでは難しいということは読者の皆様も認識されていることではないかと思います。

この問題にどのような角度から解決策を立案していくのかが、求められるようになっていると考えます。

 

では、今回も長い記事を読んでくださり、ありがとうございました。

 

Nao-Nao