官僚になれなかった夏

はじめまして。ブログ初心者のNao-Naoと申します。このブログでは日常の時事問題や公務員試験の勉強・受験時の心構え、就職活動等について書いていきたいと考えております。何卒よろしくお願いいたします。

★【⑨】官庁訪問体験記 2018'★

おはようございます。

ご無沙汰しております。Nao-Naoです。

 

結局、昨年の末に以下のような記事を書いておきながら、満足に新年のご挨拶も出来ないようなブログ運営をしてしまい、忸怩たる思いであります。

 

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今年も、皆様にとってより良き年となりますことを祈念いたしているのは当然ですが、特にブログを読んでくださっている様々な受験を控えていらっしゃる方々にはより一層大きな大輪の花が咲かれますことを重ねて祈っている次第です。

 

ブログの書き方も朧げになりつつある中、官庁訪問の続きを早く書いて、2018年度分は終了させたいと考えております。

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 2つ前の記事ですのでリンクを貼っておきます。

こちらを先に読んで頂いた方が今回書かせていただく体験記の理解を深めやすいのかなと思います。

 

⑧からの続き

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昼食をとって、控室に戻ると同机にいた受験者がいなくなっており、

更に人数が減ったのだと感じました。

そういえば昼食に出る際、複数人まとめて番号を呼ばれ、

「あなた達は昼食に行ってきて構いません。○○時○○分でにこの控室に帰ってきてください。」と言われたのを思い出し、「あなた達『は』」ということは、そうでない人達もいるのかと改めて官庁訪問の厳しさを思い知りました。

 

国土交通省の控室にはコーヒー(ブラック)、紅茶花伝(ミルクティー)、緑茶があり、緑茶の減りだけが異様に早かったのを記憶しています。

また、昼食後に情報交換で1日目に外務省に行った人等から他省庁の動向を聞く等し、

本当に情報戦とは精神的に厳しいものなんだと実感しました。

 

その後、面接が再開され、私は自室を持たれている50代くらいの面接官の方とお会いしました。

その部屋に呼ばれた時は2人だけ呼ばれ、常時警備員のいるフロアで待機することになり、1人が外の椅子で待機、という形でした。

私は後の順番でしたが、場の空気に呑まれてしまい、初めて緊張感を覚えました。

面接を終え、外に出てきた先行者が扉を閉めると同時に首を横に振り、「かなりの圧迫だから気を付けた方が良いよ。」と言われました。

 

先行者はそのまま控室に戻っていきましたが、あまり雲行きは良くなかったのだろうなと背中を見て感じていました。

1分後、ノックをして中に入ると、控室の8割ぐらいの広さのところに、面接官の方がいらっしゃり、ニコニコしながら、横にある椅子の方に座るよう促してきました。

規定通りに挨拶と自己紹介を終え、着席すると、面接官自身の経歴の紹介も無く、志望動機を聞かれました。

これまで積み重ねてきた「⑴面接官自身の来歴⇒⑵自身の志望動機に⑴を組み合わせて述べる」というフォーメーションを崩され、面食らった私は思った通りの発言をすることが出来ず、防戦一方となりました。

ちなみに、その時に相手にされた質問は「どうして○○では出来ないのか」「どうしてこれまではあなたの主張するようなことが出来なかったと思うか」「あなたの志望動機ならば○○省の方が似合うと思うが、なぜそちらでは叶えられないのか」という定番の質問の中でもかなり圧迫の質問形式なものが多かった気がします。

勿論、これまで培った弁舌を尽くして説明しましたが、「○○という志望動機ではこの省で通用しないと言われたらどうするのか」「これまでの経歴で国土に類するようなものが無いが、いきなり関心を持ってこれまでの考えとの統一性は取れているのか」と反駁され、取り付く島もないように感じました。

 

今回の面接が最も厳しかったと感じながら面接室を後にし、控室に戻ると先程の先行者からどうだったかを聞かれ、かなり厳しい面接内容であったと伝えました。

その後、もう1人、30代の方の面接を挟んだのですが、聞かれることはオーソドックスなことばかりで、国土交通省官庁訪問は失敗であったと肌で分かりました。

そして、奇しくも先程の面接を行った2人が同時に呼ばれ、1人ずつ採用可能性が低い旨伝えられました。

 

帰りにはその人と共に富国生命ビルB2Fにある「萬里」というお店で冷麺を食べてアルコールを飲み、帰りました。

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今回は情報交換ではなく、大学のことや就職活動自体のこと、また研究等幅広いことについて話をし、打ち解けることが出来たと思います。

いい気分でホテルに帰り、半身浴をしながら明日過ごす東京での観光地巡りについて思いを巡らせていました。

 

官庁訪問ではリフレッシュの仕方、気の緩め方が本当に大事だと感じた3日目となりました。

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以上が私の過ごした第1タームでした。

かなり精神的にも、肉体的にもしんどかったですが、現在でも共にお酒に行く朋友達を得ました。彼、彼女達は今公務員ではありませんが他業種で広く活躍しており、新入社員の洗礼について愚痴を聞かせてくれています。

 

2日間の休みについては軽く1つの記事に纏め、次の第2タームに訪れた省庁について書きたいと思います。

第2タームからの採用可能性は低いと知っていながら来年の官庁訪問について少しでも情報を得ておこうとしていた節があります。

よって、読者の皆様にはあまり参考にはならないかもしれませんが、書かせて頂こうと思います。

 

長らく更新が空いてしまっていたこと、重ねてお詫びを申し上げ、必ず次は近いうちにあげさせてもらうことを約束し、今回の結びとしたいと思います。

今回も長い記事を読んで頂きありがとうございました。

 

Nao-Nao

★【箸休めとお礼】基本的な理解に資する話と今年1年のお礼★

おはようございます。Nao-Naoです。

今回はなんだかんだと言いながら10日間も期間が飛んでしまいました。

楽しみにしていた人には本当に申し訳なく思っております。

 

今回はこのブログを読んでくださっている方からアドバイスをいただきまして、国家公務員総合職についての基本的な話をしてみたいと思います。

 

皆さんは国家公務員と言えば、どのような認識を持たれているのでしょうか。

「高給取り」「偉そう」等々、偏った理解がなされているものと推察いたします(私も公務員試験を受験する前までは同様の認識でした)。

 

国家公務員はキャリア(所謂、総合職)―約16,000人とノンキャリア(所謂、一般職)―約250,000人に大別されます。キャリアは全公務員(地方公務員や特別職を含む)の0.5%と極めて限られた人達であり、日本の今後を担っていく人達である。

しかし、国家公務員総合職試験の受験者数は減少を続け、入省した若手人材の流出も続いています。理由は「昇進の遅滞」や「労働時間の長さ」にあると言われています。

 

では、どれほどまで「キャリア官僚」とは稀有な存在なのか。2017年の在職者数を基に見てみると、

 Ex)〇〇省(国家公務員の在職者数)―キャリア官僚数

という内訳になっております(防衛省は書記官や事務官など多岐に亘るため割愛)。

彼らがこの国を動かしていると言っても過言ではないということが理解していただけると思います。

 

もちろん、国を担う仕事に就くためには国家公務員総合職試験という試験をパスしなければなりません。国家公務員総合職試験は司法試験、医師国家試験と並び、「三大難関試験」と呼ばれています。

 

この試験の流れとしては国家公務員6級職採用試験→国家公務員採用上級試験→国家公務員採用上級甲種試験→国家公務員採用I種試験→国家公務員採用総合職試験(院卒者、大卒程度)となっており、難易度的にも古い試験の方が難しくなる傾向にあります。

しかし、最新の合格率は7.2%と低い水準を維持しており、お話した官僚の方は「問題の難易度よりも受験者の質の下落の方が大きいのではないか」と仰っていました。

実際、私が受験した年も難しかったと感じたのですが、過去問ほどの難しさはなかったと記憶しております。
 
過去問をいくつか挙げるならば、
①民主主義(デモクラシー)については様々な議論があるが、今日においては、民主主義を超える政治体制は存在しないというのが大方の見方である。このような民主主義に関する政治理論の展開を複数の研究者を挙げながら論じなさい(政治学)。
 
②1975年に先進国首脳会議ないし主要先進国首脳会議という名称で始まった主要国首脳会議(いわゆる「サミット」)は、その時々の国際社会が抱える課題に応じて変容しながら、今日に至るまで毎年開催されてきた。40年以上に亘るその歴史を、制度化される契機を指摘した上で、時期区分を設定しながら、どのように変化したか国際レジーム論の観点から論じなさい(国際関係A)。
 
いずれも読みやすいように変えている部分がありますので、参考までに考えていただけるとありがたいです。
 
とっ散らかった主張になりましたが要点は3つ、⑴非常に難しい試験である事、⑵試験に合格すれば頭の良さは必ずどの企業でも認めてもらえるようなものであること、⑶勉強は多肢選択式だけでは足りず、むしろ論述をメインに理解を深めていった方が良い事、です。
 
最後になりますが、今年1年、私の拙いブログを見てくださってありがとうございました。初めてブログを書いたということもあり、非常に分かりづらい箇所もあったと思います。それでも、よく読み取って下さり、DM等で相談をして下さる読者の方々に支えられてこの令和元年の年末を迎えることができました。
来年からも引き続き、残っている官庁訪問の体験記(昨年分と今年分)を書き上げたり、日々のニュースについて書いていこうと考えております。
これまで通り、Twitterの方でも蕪雑ながら情報発信をしていくことが出来ればと思います。
 
それでは皆様におかれましても、来たる令和二年が良い一年となりますよう心からお祈り申し上げ、ブログの締めとさせていただきます。
 
本年もありがとうございました。
 
Nao-Nao

★【⑧】官庁訪問体験記 2018'★

おはようございます。Nao-Naoです。

今回は1週間程度のブランクで筆を執ることが出来た私を褒めたいと思います。

実はつい先日、大学院にお邪魔をした際に「大学の発行する雑誌に論文を1本書いてくれないか」と担当者の方にお願いをされ、1本論文を書く破目になってしまいました。

 

前回までの記事を貼っておきますので、併せて読んで頂けると嬉しいです。

1日目「防衛省

 

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 2日目「内閣府

 

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今回は3日目に訪れた官庁である「国土交通省」について書きたいと思います。

国土交通省は何度説明会に足を運ぶかがウエイトを占める、という話を聞きました。

しかし、それを聞いたのが官庁訪問中であるという私自身の情報収集能力の低さを露呈する結果となってしまいました。

 

国土交通省を訪れた時、西日本では長雨が続いており、所謂「西日本豪雨」の被害が徐々に明らかとなってきていました。

国土交通省の入居する中央合同庁舎2号館庁舎に入ると、既に防災服を着た人達が歩いているのが見え、とんでもない時期に国土交通省に来てしまったなと感じました。

 

案内されたのは庁舎の下にある会議室で、おおよそ40人程度の官庁訪問者がいました。

そこには、内閣府でよく話していた友人(知り合って2日目)がおり、緊張を程よく緩和することができました。

そして、国土交通省では控室の中に常に職員の方が2~3名いて、私達官庁訪問者達を観察しており、机の上にある固定電話が鳴ると、その職員達を通じて呼び出されるという仕組みが採られていました。

だいたい、最初は1回で5人程呼ばれます。

私は2回目に呼ばれ、同じ地下にある会議室でパーテーションで仕切られた状態の個別面接を受けることになりました。

 

最初に面接をしてくださった方は30代の課長補佐で、凄くフランクに接してくださいました。

まず、官庁訪問の労を労っていただき、自身の時も緊張でなかなか寝られなかった等のエピソードを交えて話してくださいました。

緊張を解す時間を設けてくださっているのだと感謝しながらお伺いしていると、「私は志望動機を今で言う国土強靭化計画に求めたんだけど、(私の名前)さんも同じような動機なんだね!どうしてこの志望動機を持つに至ったのかな?」と質問をされ、予想の範囲内の問いでしたので流暢に自身の意見を伝えました。

 

すると、「なるほど、確かにそれはうちの省しか出来ないことだ。よくそんなところに目をつけたね。1日目、2日目と訪問した官庁の手応えはどんな感じだった?」と好印象を持っていただけました。

後は、学生時代に力を入れたことや趣味等、他省庁で聞かれたことと同じ質問をされました。最後は笑顔で、「次は治水関係の人に話を継いでもらえるようにお願いしておくね!」と声をかけてもらい、好印象の内に面接が終了したのだと分かりました。

 

控室に戻り、部屋にあったお茶を飲みながら、面接での問答をメモしていると、メモが終わるや否や呼び出され、上にある水管理・国土保全局治水課に行って欲しいと言われ、向かいました。

 

そこでは40代の課長が待ってくださっており、応接室のようなところで原課面接を受けることになりました。

この課長さんは私のために資料を作ってくれており、図や写真、グラフも多く、視覚的に分かり易く説明してくださる方なんだなという第一印象として持ちました。

そして、ご自身の経歴から、どのような事業を行っているのか、治水は国を治めるには必要不可欠な要素であるから、使命感を常に持って働いていること等を説明してくださいました。

その後、国の行っている事業についての質問はあるか、と問われ、防災の観点から見た治水事業の重要性を話しながら、他省庁との協力関係、官庁訪問の少し前に起こった北摂地震に関する問題点等についてお聞きしました。

 

課長さんはメモを取りながら話を聞いてくださり、十二分な説明を私に与えて下さいました。また、面接終了時には「経験に裏付けされた問題意識が沢山あり、治水という現代ではあまり着目されていない課題に上手く結びつけられている。良いと思います。」とフィードバックをいただきました。

 

上機嫌で控室に戻ると、席が4~5程度空いており、面接に行かれている方かなと思っていましたが、帰ってきませんでした(友人に聞くと、国土交通省は脈なしの人を早く帰すのでは、と言っていました)。

その後、昼休憩に入って構わないと連絡があり、友人と合同庁舎地下にある食堂まで食べに行くことになりました。

さすがに3日目ともなると面接事態に対する緊張はあまりありませんでしたが、どのようなところを評価されているのか、面接官の表情はどうだったか等、昼食を食べながら意見交換をしました。

 

続きはまたの機会に書きたいと思います。

 

論文が完成すれば、こちらの方にも軽く載せたいと思いますので、

そちらも読んで頂ければ幸いです。

 

今回も読んで頂き、ありがとうございました。

 

Nao-Nao

 

★【⑦】官庁訪問体験記 2018'★

こんばんは。Nao-Naoです。

だいぶ期間が飛んでしまいました。誠に申し訳ないです。

先般までの記事はこちらから見ていただけると幸いです。

 

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 確か…午後の面接からでしたね。

 

お昼ご飯を食べて、多少の歓談をしていたところ、また職員の方がやってきて、番号を呼び、今度は複数人の方をまとめて連れていきました。

この時からまた、面接地獄が始まるのか、と先程まで話していた受験者達の顔色が変わります。

私は3回目の呼び出しの時に番号が呼ばれ、原課面接に行きました。

 

この時に担当してくださった内閣府の方は当時、IR関連を統轄している課長でした。

しかし、課長という肩書にそぐわないフランクさに驚きました。

握手をしてきたり、「遊園地で一番嫌いなものは何?」等の変化球的な質問をされ、本当にこれは面接なのかと考えてしまったほどです。

私の答えが気に入ってくださったのか、面接の終わりの方で名刺をいただき、最後に「IRの印象を報道ベースでいいから教えてもらっていいかな?」と言われました。

 

私は現住自治体がIR予定地に手を挙げていることに触れながら、IR事態には良い印象を持っていること、また、マイナスの効果についてはどうすれば低減させることができると考えるか、等を述べました。

 

すると、「非常に考えがまとまっていて良いね!今の意見も是非反映させられるよう、私としても頑張るね。」とご自身のメモ帳を広げながら仰られました。

その後、私は控室に帰還したのですが、既に3~4割の席が空席となっており、官庁訪問の怖さを改めて思い知らされました。

 

暫くして、また複数人の呼び出しが行われ、出ていった人達と入れ替わりに1人ずつ呼ばれる人も出てきました(この際に出ていった複数人組の方達はもう見ることはありませんでした)。

 

私は5回目か、6回目に呼ばれ、今度は40代くらいの女性の課長が面接官でした。

彼女は男女共同参画担当だと仰っていました。

 

さっきの面接官とは打って変わって、これまでと同じように志望動機や学生時代に力を入れたこと等を聞かれ、油断していた時に、「これまで政治家の方が『女性は子供を産む機械だ』とか『子供がいない女性は他人の子供が払った税金で老人ホームに入るのが申し訳ないと思わないのか』とか言う発言があります。彼ら自身”拙い”頭でこの国の将来を考えていると思いますが…。彼らの意見を踏まえて内閣府としてどのように対策を打てばいいとお考えですか?」と聞かれました。

確かに政治家は頭の良くない方もいらっしゃいますが、”拙い頭”という表現はあまりにも私怨が込められた言い方ではないかなと感じてしまいました(その課長さんは結婚指輪をされていませんでした)。

 

私は慎重に言葉を選びながら「内閣府として、思想の押しつけは絶対してはいけないことだと考えます。問題意識として取り組むのは大事なことですが、その問題意識を国民に押し付けてはなりません。私は、『子供を持たない、増やせない』という問題を引き起こしている障害を取り除くことが内閣府としてあるべき姿であると思います。」とお答えしました。

 

しかし、彼女は少し微笑みながら、「素晴らしい考えであると思います。しかし、それでは厚生労働省で良いのではないですか?」と鋭い返しをされてしましました。

そうです。内閣府のモットーである「統合調整」を入れ忘れていたのです。

慌ててフォローしましたが、あまり上手くいかず、この時間帯の失敗は致命傷だと感じました。

部屋に戻ると6~7割の人が部屋にはおらず、外の日章旗は日没と共に降ろされていました。真っ暗になった永田町を見ると、ライトアップされた首相官邸がいやに綺麗に映えていました。

 

20時頃に私が呼ばれ、内閣府にはご縁が無かった旨を伝えられ、ホテルに帰ることになりました。

官庁訪問では1度の失敗が命取りに繋がると改めて感じた内閣府官庁訪問でした。

 

また、これからも書いていきたいと思いますので、見放さずに読んで頂けると幸いです。

要望や質問等があれば、質問箱がありますので、是非お伝えください。

 

Nao-Nao

peing.net

 

★【⑥】官庁訪問体験記 2018'★

こんばんは。Nao-Naoです。

台風19号が関東に接近との報に接しながらこの記事を書いています。関東にお住いの無事を心から祈っております。

 

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今回は2日目の官庁訪問体験記を書いていきたいと思います。

 

2日目の朝8時少し前に内閣府の玄関をくぐりました。

前に首相官邸があるだけあり、常に警察車両が止まっており、物々しい雰囲気がありました。

門をくぐるとすぐにある守衛所で来府者名簿に名前と大学名を記入し、入府(?)証を受け取ります。これは常に身に付けておかなければなりません。

その後、新館の8階にあります特別大会議室に向かいます。その部屋が私達の待機室になります。

その待機室前には列ができており、その最後尾に並びました。入って左側に特別大会議室に通じる扉、右側には原課面接に通じる扉があります。

全員が入ると白紙の名簿が配られ、「合格した試験名、名前、合格年」を記入させられます(名前の上にはひらがなで振り仮名をしなければならないので、大きすぎないように気をつけましょう)。

記入すると職員の方が机に来て回収していかれます。一感想なのですが、内閣府の椅子がもっとも官庁訪問では良かった気がします(法務省も椅子は良いのですが、机は無かったです)。

そして、1日目の防衛省と同じく「入口面接」が始まります。職員の方が大勢入ってこられ、1人ずつ名前を呼ばれます。これも評価とは関係が無いと言われますので、率直に自身の関心のある分野、どんな人から話を聞いてみたいかを述べましょう。

5分/人なので、深く話せることは無いですが、原課面接の部屋で行われるので、部屋の雰囲気だけは掴むようにしておきましょう。

 

その後は各々名前を呼ばれた人から面接に行きます。

面接には下の部屋に移動して話をする「人事面接」とそのまま右の部屋に移動する「原課面接」があります。恐らく、人事面接を多く積み重ねた方がフェーズ的には進んでいるのかなと言うのが、体験した素直な感想です。

私は、沖縄開発に携わっていた課長補佐の方からまず、お話を伺いました。聞かれる内容は基本的に同じですが、内閣府だと少し切り返しが斜なように感じました。

実際私は「沖縄振興にはどのような施策を打ち出していくべきだと思う?」と聞かれ、「沖縄振興にお金をかけるだけではなく、地域のニーズを踏まえた対応が求められていると思いますので、そのニーズを把握するような施策をまず打つべきだと考えます。」と答えました。

すると、「いい考えだと思います。では、どのようなニーズがあると思いますか?」と聞かれました。咄嗟に、「国土交通省で把握できるニーズや総務省で把握できるニーズについて明るくありませんので、即答することは難しいですが、他省庁が把握するニーズを統合して、限られた資源を効率よくニーズに基づいて割り振るべきだと思います。」と答えました。

すると、相手の面接官の方は、「よくキーワードを押さえて答えることができますね。初手としては素晴らしいと思います。」と褒めてくださりました。その後、逆質問ではニーズの把握に関連した質問を行い、待機室に帰りました。

待機室にはおよそ60人程度の官庁訪問の方々がいて、皆、戦々恐々とした雰囲気でしたので、出入りにも意外と気を使いました。

 

そして、少し話をしていた同じ机の方々から質問攻めにあうことになりました。私の机には8~10人いて、名古屋大学一橋大学東京大学旧帝国大学がずらりといました。私大は慶應・早稲田ぐらいしか見当たらなかった気がします。

彼らから求められた情報を伝達していると、ほぼ一巡できたのか、職員の方が来て、昼休憩の合図を出されました。だいたい1時間程度の休み時間なのですが、昼ご飯を食堂で食べる人、コンビニで買って待機室で食べる人等色々います。私は同じ机で仲良くなった人と食堂で食べました。

食堂は職員の方も来て非常に混み合いますので、悩む暇があるなら券売機の前で悩んだ方が良いと思います。色々なメニューがあり、面白いと思います。

 

そして、部屋に帰り、脳に栄養がいかなくなったのを見計らって(?)、いよいよ午後の面接が開始されるのです。

午後の面接については、また次の記事に書きたいと思います。

 

頭にも書きましたが、台風19号が接近している地域におかれましては早急な対応をよろしくお願いいたします。無事に過ぎ去りますように…。

 

Nao-Nao

★【⑤】官庁訪問体験記 2018'★

こんばんは。いつもこのような時間帯の更新になっています。

Nao-Naoです。

 

今回は前回に引き続き防衛省の訪問の続きについて書いていきたいと思います。

前回の記事は以下に貼っておきます。

 

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 そして、いきなりの訂正です。前回の記事で課長補佐級の方と会う前に入口面接があり、そこで「これは評価には影響しないので、」と前置きされた上で、「どんな方に会いたいか、どんな話を聞いてみたいか」と言った質問を1階の面接室でされます。

凄く優しい聞き方をして下さるのですが、気を許すと、次からの面接が激烈の厳しさに感じられるはずですので、あまり警戒心を解き過ぎないように注意してください。

 

そして、続きを書くと、課長補佐級の面接を受け、面接会場から控室に戻った私は、ひたすらリラックスしながら、同じ机の人達と語らい、昼ご飯まで時間を潰していました。

勿論、自身の面接シートを確認している方も多くいたのですが、やはり集中力がものを言うのが面接なので、それまで集中力を削りたくないと、私はひたすらにリラックスするように努めました。

 

その後、昼休憩を経て、もう一度面接に呼ばれ、面接室に向かいました。今度の面接会場は同じ棟の1階だったので、人事面接なんだと理解しました。

面接官の方は、課長級の方で、防衛政策局に在籍してらっしゃる方とお聞きしました。防衛政策局は私の興味がある分野でしたので、何とか自身の書いた面接シートとズレが無いように「学生時代に力を入れたこと」と「政策立案及び政策に反映させるために必要な素養」とを組みあわせて説明しました。受けた質問は「なぜ、防衛省を志望しているか」「きっかけは何か」「学生時代に力を入れたことは何か」「それをどうやって職務に活かせるか」「防衛省の抱えている問題で最も関心のあるものは何か」といったものでした。

しかし、北摂地震の後だったということもあり、災害対応に軸足を置き過ぎた説明になってしまっていたようで、面接官からは「防災や災害出動は非常に大事な要素だけどなぁ…」と言われてしまいました。

私は大学院での研究が安全保障分野だったので、防衛大綱の話等をすると「そうそう!そういう話を聞きたかったんだよ!」と笑顔で仰ってくれました。

勿論、逆質問では防衛政策局における意思決定プロセスについて質問し、次の面接に活かせる素材をいただきました。

 

待合室に戻ると、20人程がいなくなっており、同じ机の人に聞くと、私が面接に行ってすぐ、20人程がまとめて呼ばれ、帰ってきていないそうでした(私は原課面接かと思っていたのですが、結局、彼らは帰ってきませんでした)。

その後は少人数で呼ばれるのが続き、どんどん控室内の人口が減っていきました。最終的には15人程度になり、20時を過ぎる頃には私の机にも2人程しかいなくなっていました。控室には若手の職員さんも来て、アットホームな雰囲気になっており、生き残った方達は口々に面接では聞けないような質問を投げかけていました。

 

そんな中でも何度も面接に呼ばれている人もいて、こんな人達が最終的に生き残るのかな、とぼんやり考えていた頃、私が呼ばれました。

私は、やはり防災面を押しすぎていたみたいで「防災面に関心が高いのは非常にありがたいのですが、やはり『防衛』省なので…」と言われ、第1クールで落とされてしまいました。

防衛省を出たのが22時過ぎ、翌日は内閣府官庁訪問が控えていました。

一緒に防衛省の門をくぐって出た友人(今でも交友があります)に声をかけ、一緒に晩ご飯に行くことに、うどんを啜りながら、話をすると、彼は「是非第2クールも来てください」と言われたようで、すごく喜んでいました。

彼も関西出身で凄く親近感が湧き、期待されるんだなと思いながら、彼とラインを交換して別れ、ホテルに帰りました。

 

そして2日目、内閣府へと向かうことになるのですが、それはまた次回の記事で書きたいと思います。

今回も読んでくださり、ありがとうございました。

 

Nao-Nao

★【④】官庁訪問体験記 2018'★

こんばんは。Nao-Naoです。

官庁訪問の体験記について書いて欲しい、との声がありましたので、書かせていただきたいと思います。

 

私は国家公務員総合職試験に合格して、真っ先にホテル探しをしました。

お薦めのホテルは御茶ノ水駅近くのホテルです。

なぜならJRと丸ノ内線、中央線が御茶ノ水及び新御茶ノ水で通っており、官庁訪問に使いやすいからです(防衛省を考えていない人にはあまり参考にならないかもしれません)。

 

私は2018年の官庁訪問、第一志望で防衛省に行きました。

8時に集合だったので、7時40分に防衛省の門の前に着くようにしましたが、もうすでに行列ができており、皆賢そうに見えました。彼らがライバルかと考えると、凄く緊張したのを覚えています。

 

その後、向かって左側の詰所で「所属と氏名、住所」を記入し、身分証明書と併せて提出し、入省証を受け取ります。

その後、職員の指示に従い、門の前で警備に当たっている自衛隊員の方を見ながら、右の駐屯地のグラウンド側にある別棟まで坂を上って進んでいきます。

その棟はエレベーターを使わせてもらえず、5階まで階段で登りました。

階段を上ると、待合室に通され、官庁訪問カードを回収されます。

80人程度が部屋にいて、その中で自由な席に着き、同じ机に座った官庁訪問者達約8名と挨拶をしながら、目の前の机にあるお菓子をつまみながら、名前を呼ばれるのを待ちます。

 

ランダムで番号が呼ばれていき、8~10人ずつ部屋から消えていきます。

最初なので、原課面接(職員の方の職務を聞きながら、面接を受ける方式)なんだと思いながら、待っていると1時間後に3番目ぐらいに呼ばれ、移動することに。

防衛省本棟の前を通り、防衛装備庁の前を右折し、坂を上ると、左手に講堂と食堂、コンビニが見えてきます。

その講堂の中に通され、待機部屋で暫し待機、この時点で同じ組の10人程度は話すのも少なくなって、自分のことを暗唱しているような状況でした。

そこで20分程度待たされ、講堂内に設置されたブースに通されました。

最初に面接して面接してくださった人は課長補佐級で、PAC3展開の訓練等を担当していたような人でした。

東日本大震災での対応等をひとしきり聞き、逆質問では「災害対応についてご自身の経験から更にどのようなところに注力すべきだと思われますか」と聞き、原課面接は終わりました。

手ごたえ的にはあまり悪くなかったのかなと思いましたが、あまり、マッチした感じがしなかったのも事実です。

 

続きはまた次回に…。

 

コメント等いただければ嬉しいです。

 

Nao-Nao