★【⑦】官庁訪問体験記 2018'★
こんばんは。Nao-Naoです。
だいぶ期間が飛んでしまいました。誠に申し訳ないです。
先般までの記事はこちらから見ていただけると幸いです。
確か…午後の面接からでしたね。
お昼ご飯を食べて、多少の歓談をしていたところ、また職員の方がやってきて、番号を呼び、今度は複数人の方をまとめて連れていきました。
この時からまた、面接地獄が始まるのか、と先程まで話していた受験者達の顔色が変わります。
私は3回目の呼び出しの時に番号が呼ばれ、原課面接に行きました。
この時に担当してくださった内閣府の方は当時、IR関連を統轄している課長でした。
しかし、課長という肩書にそぐわないフランクさに驚きました。
握手をしてきたり、「遊園地で一番嫌いなものは何?」等の変化球的な質問をされ、本当にこれは面接なのかと考えてしまったほどです。
私の答えが気に入ってくださったのか、面接の終わりの方で名刺をいただき、最後に「IRの印象を報道ベースでいいから教えてもらっていいかな?」と言われました。
私は現住自治体がIR予定地に手を挙げていることに触れながら、IR事態には良い印象を持っていること、また、マイナスの効果についてはどうすれば低減させることができると考えるか、等を述べました。
すると、「非常に考えがまとまっていて良いね!今の意見も是非反映させられるよう、私としても頑張るね。」とご自身のメモ帳を広げながら仰られました。
その後、私は控室に帰還したのですが、既に3~4割の席が空席となっており、官庁訪問の怖さを改めて思い知らされました。
暫くして、また複数人の呼び出しが行われ、出ていった人達と入れ替わりに1人ずつ呼ばれる人も出てきました(この際に出ていった複数人組の方達はもう見ることはありませんでした)。
私は5回目か、6回目に呼ばれ、今度は40代くらいの女性の課長が面接官でした。
彼女は男女共同参画担当だと仰っていました。
さっきの面接官とは打って変わって、これまでと同じように志望動機や学生時代に力を入れたこと等を聞かれ、油断していた時に、「これまで政治家の方が『女性は子供を産む機械だ』とか『子供がいない女性は他人の子供が払った税金で老人ホームに入るのが申し訳ないと思わないのか』とか言う発言があります。彼ら自身”拙い”頭でこの国の将来を考えていると思いますが…。彼らの意見を踏まえて内閣府としてどのように対策を打てばいいとお考えですか?」と聞かれました。
確かに政治家は頭の良くない方もいらっしゃいますが、”拙い頭”という表現はあまりにも私怨が込められた言い方ではないかなと感じてしまいました(その課長さんは結婚指輪をされていませんでした)。
私は慎重に言葉を選びながら「内閣府として、思想の押しつけは絶対してはいけないことだと考えます。問題意識として取り組むのは大事なことですが、その問題意識を国民に押し付けてはなりません。私は、『子供を持たない、増やせない』という問題を引き起こしている障害を取り除くことが内閣府としてあるべき姿であると思います。」とお答えしました。
しかし、彼女は少し微笑みながら、「素晴らしい考えであると思います。しかし、それでは厚生労働省で良いのではないですか?」と鋭い返しをされてしましました。
そうです。内閣府のモットーである「統合調整」を入れ忘れていたのです。
慌ててフォローしましたが、あまり上手くいかず、この時間帯の失敗は致命傷だと感じました。
部屋に戻ると6~7割の人が部屋にはおらず、外の日章旗は日没と共に降ろされていました。真っ暗になった永田町を見ると、ライトアップされた首相官邸がいやに綺麗に映えていました。
20時頃に私が呼ばれ、内閣府にはご縁が無かった旨を伝えられ、ホテルに帰ることになりました。
官庁訪問では1度の失敗が命取りに繋がると改めて感じた内閣府の官庁訪問でした。
また、これからも書いていきたいと思いますので、見放さずに読んで頂けると幸いです。
要望や質問等があれば、質問箱がありますので、是非お伝えください。
Nao-Nao
★【⑥】官庁訪問体験記 2018'★
こんばんは。Nao-Naoです。
台風19号が関東に接近との報に接しながらこの記事を書いています。関東にお住いの無事を心から祈っております。
今回は2日目の官庁訪問体験記を書いていきたいと思います。
2日目の朝8時少し前に内閣府の玄関をくぐりました。
前に首相官邸があるだけあり、常に警察車両が止まっており、物々しい雰囲気がありました。
門をくぐるとすぐにある守衛所で来府者名簿に名前と大学名を記入し、入府(?)証を受け取ります。これは常に身に付けておかなければなりません。
その後、新館の8階にあります特別大会議室に向かいます。その部屋が私達の待機室になります。
その待機室前には列ができており、その最後尾に並びました。入って左側に特別大会議室に通じる扉、右側には原課面接に通じる扉があります。
全員が入ると白紙の名簿が配られ、「合格した試験名、名前、合格年」を記入させられます(名前の上にはひらがなで振り仮名をしなければならないので、大きすぎないように気をつけましょう)。
記入すると職員の方が机に来て回収していかれます。一感想なのですが、内閣府の椅子がもっとも官庁訪問では良かった気がします(法務省も椅子は良いのですが、机は無かったです)。
そして、1日目の防衛省と同じく「入口面接」が始まります。職員の方が大勢入ってこられ、1人ずつ名前を呼ばれます。これも評価とは関係が無いと言われますので、率直に自身の関心のある分野、どんな人から話を聞いてみたいかを述べましょう。
5分/人なので、深く話せることは無いですが、原課面接の部屋で行われるので、部屋の雰囲気だけは掴むようにしておきましょう。
その後は各々名前を呼ばれた人から面接に行きます。
面接には下の部屋に移動して話をする「人事面接」とそのまま右の部屋に移動する「原課面接」があります。恐らく、人事面接を多く積み重ねた方がフェーズ的には進んでいるのかなと言うのが、体験した素直な感想です。
私は、沖縄開発に携わっていた課長補佐の方からまず、お話を伺いました。聞かれる内容は基本的に同じですが、内閣府だと少し切り返しが斜なように感じました。
実際私は「沖縄振興にはどのような施策を打ち出していくべきだと思う?」と聞かれ、「沖縄振興にお金をかけるだけではなく、地域のニーズを踏まえた対応が求められていると思いますので、そのニーズを把握するような施策をまず打つべきだと考えます。」と答えました。
すると、「いい考えだと思います。では、どのようなニーズがあると思いますか?」と聞かれました。咄嗟に、「国土交通省で把握できるニーズや総務省で把握できるニーズについて明るくありませんので、即答することは難しいですが、他省庁が把握するニーズを統合して、限られた資源を効率よくニーズに基づいて割り振るべきだと思います。」と答えました。
すると、相手の面接官の方は、「よくキーワードを押さえて答えることができますね。初手としては素晴らしいと思います。」と褒めてくださりました。その後、逆質問ではニーズの把握に関連した質問を行い、待機室に帰りました。
待機室にはおよそ60人程度の官庁訪問の方々がいて、皆、戦々恐々とした雰囲気でしたので、出入りにも意外と気を使いました。
そして、少し話をしていた同じ机の方々から質問攻めにあうことになりました。私の机には8~10人いて、名古屋大学や一橋大学、東京大学等旧帝国大学がずらりといました。私大は慶應・早稲田ぐらいしか見当たらなかった気がします。
彼らから求められた情報を伝達していると、ほぼ一巡できたのか、職員の方が来て、昼休憩の合図を出されました。だいたい1時間程度の休み時間なのですが、昼ご飯を食堂で食べる人、コンビニで買って待機室で食べる人等色々います。私は同じ机で仲良くなった人と食堂で食べました。
食堂は職員の方も来て非常に混み合いますので、悩む暇があるなら券売機の前で悩んだ方が良いと思います。色々なメニューがあり、面白いと思います。
そして、部屋に帰り、脳に栄養がいかなくなったのを見計らって(?)、いよいよ午後の面接が開始されるのです。
午後の面接については、また次の記事に書きたいと思います。
頭にも書きましたが、台風19号が接近している地域におかれましては早急な対応をよろしくお願いいたします。無事に過ぎ去りますように…。
Nao-Nao
★【⑤】官庁訪問体験記 2018'★
こんばんは。いつもこのような時間帯の更新になっています。
Nao-Naoです。
今回は前回に引き続き防衛省の訪問の続きについて書いていきたいと思います。
前回の記事は以下に貼っておきます。
そして、いきなりの訂正です。前回の記事で課長補佐級の方と会う前に入口面接があり、そこで「これは評価には影響しないので、」と前置きされた上で、「どんな方に会いたいか、どんな話を聞いてみたいか」と言った質問を1階の面接室でされます。
凄く優しい聞き方をして下さるのですが、気を許すと、次からの面接が激烈の厳しさに感じられるはずですので、あまり警戒心を解き過ぎないように注意してください。
そして、続きを書くと、課長補佐級の面接を受け、面接会場から控室に戻った私は、ひたすらリラックスしながら、同じ机の人達と語らい、昼ご飯まで時間を潰していました。
勿論、自身の面接シートを確認している方も多くいたのですが、やはり集中力がものを言うのが面接なので、それまで集中力を削りたくないと、私はひたすらにリラックスするように努めました。
その後、昼休憩を経て、もう一度面接に呼ばれ、面接室に向かいました。今度の面接会場は同じ棟の1階だったので、人事面接なんだと理解しました。
面接官の方は、課長級の方で、防衛政策局に在籍してらっしゃる方とお聞きしました。防衛政策局は私の興味がある分野でしたので、何とか自身の書いた面接シートとズレが無いように「学生時代に力を入れたこと」と「政策立案及び政策に反映させるために必要な素養」とを組みあわせて説明しました。受けた質問は「なぜ、防衛省を志望しているか」「きっかけは何か」「学生時代に力を入れたことは何か」「それをどうやって職務に活かせるか」「防衛省の抱えている問題で最も関心のあるものは何か」といったものでした。
しかし、北摂地震の後だったということもあり、災害対応に軸足を置き過ぎた説明になってしまっていたようで、面接官からは「防災や災害出動は非常に大事な要素だけどなぁ…」と言われてしまいました。
私は大学院での研究が安全保障分野だったので、防衛大綱の話等をすると「そうそう!そういう話を聞きたかったんだよ!」と笑顔で仰ってくれました。
勿論、逆質問では防衛政策局における意思決定プロセスについて質問し、次の面接に活かせる素材をいただきました。
待合室に戻ると、20人程がいなくなっており、同じ机の人に聞くと、私が面接に行ってすぐ、20人程がまとめて呼ばれ、帰ってきていないそうでした(私は原課面接かと思っていたのですが、結局、彼らは帰ってきませんでした)。
その後は少人数で呼ばれるのが続き、どんどん控室内の人口が減っていきました。最終的には15人程度になり、20時を過ぎる頃には私の机にも2人程しかいなくなっていました。控室には若手の職員さんも来て、アットホームな雰囲気になっており、生き残った方達は口々に面接では聞けないような質問を投げかけていました。
そんな中でも何度も面接に呼ばれている人もいて、こんな人達が最終的に生き残るのかな、とぼんやり考えていた頃、私が呼ばれました。
私は、やはり防災面を押しすぎていたみたいで「防災面に関心が高いのは非常にありがたいのですが、やはり『防衛』省なので…」と言われ、第1クールで落とされてしまいました。
防衛省を出たのが22時過ぎ、翌日は内閣府の官庁訪問が控えていました。
一緒に防衛省の門をくぐって出た友人(今でも交友があります)に声をかけ、一緒に晩ご飯に行くことに、うどんを啜りながら、話をすると、彼は「是非第2クールも来てください」と言われたようで、すごく喜んでいました。
彼も関西出身で凄く親近感が湧き、期待されるんだなと思いながら、彼とラインを交換して別れ、ホテルに帰りました。
そして2日目、内閣府へと向かうことになるのですが、それはまた次回の記事で書きたいと思います。
今回も読んでくださり、ありがとうございました。
Nao-Nao
★【④】官庁訪問体験記 2018'★
こんばんは。Nao-Naoです。
官庁訪問の体験記について書いて欲しい、との声がありましたので、書かせていただきたいと思います。
私は国家公務員総合職試験に合格して、真っ先にホテル探しをしました。
お薦めのホテルは御茶ノ水駅近くのホテルです。
なぜならJRと丸ノ内線、中央線が御茶ノ水及び新御茶ノ水で通っており、官庁訪問に使いやすいからです(防衛省を考えていない人にはあまり参考にならないかもしれません)。
8時に集合だったので、7時40分に防衛省の門の前に着くようにしましたが、もうすでに行列ができており、皆賢そうに見えました。彼らがライバルかと考えると、凄く緊張したのを覚えています。
その後、向かって左側の詰所で「所属と氏名、住所」を記入し、身分証明書と併せて提出し、入省証を受け取ります。
その後、職員の指示に従い、門の前で警備に当たっている自衛隊員の方を見ながら、右の駐屯地のグラウンド側にある別棟まで坂を上って進んでいきます。
その棟はエレベーターを使わせてもらえず、5階まで階段で登りました。
階段を上ると、待合室に通され、官庁訪問カードを回収されます。
80人程度が部屋にいて、その中で自由な席に着き、同じ机に座った官庁訪問者達約8名と挨拶をしながら、目の前の机にあるお菓子をつまみながら、名前を呼ばれるのを待ちます。
ランダムで番号が呼ばれていき、8~10人ずつ部屋から消えていきます。
最初なので、原課面接(職員の方の職務を聞きながら、面接を受ける方式)なんだと思いながら、待っていると1時間後に3番目ぐらいに呼ばれ、移動することに。
防衛省本棟の前を通り、防衛装備庁の前を右折し、坂を上ると、左手に講堂と食堂、コンビニが見えてきます。
その講堂の中に通され、待機部屋で暫し待機、この時点で同じ組の10人程度は話すのも少なくなって、自分のことを暗唱しているような状況でした。
そこで20分程度待たされ、講堂内に設置されたブースに通されました。
最初に面接して面接してくださった人は課長補佐級で、PAC3展開の訓練等を担当していたような人でした。
東日本大震災での対応等をひとしきり聞き、逆質問では「災害対応についてご自身の経験から更にどのようなところに注力すべきだと思われますか」と聞き、原課面接は終わりました。
手ごたえ的にはあまり悪くなかったのかなと思いましたが、あまり、マッチした感じがしなかったのも事実です。
続きはまた次回に…。
コメント等いただければ嬉しいです。
Nao-Nao
★【ニュース】香港情勢についての一考察★
こんばんは。
最終の更新から1ヵ月以上も更新がなされていませんでした。
申し訳ありません。
今回は久々の更新ということもあり、韓国からは離れて、最近ホットな話題になっている香港について書いてみます。
直近の香港に関するニュースと言えば以下の2つぐらいが当てはまるのかなと思います。
また、香港のデモ隊が「香港臨時政府」なるものを樹立したとの未確認情報もあります。このようになってくると本当に内戦の様相を呈してきたなと感じます。
彼らは「香港臨時政府宣言」なるものの中で「…(前略)…香港特別行政区政府はその合法性を失い…(後略)…」と述べ、自らの合法性を主張している。
しかし、当然、中国政府がこのような行為を見過ごすわけはないと思います。実際、彼らデモ隊が主張していることは「一国二制度」を否定するものであるし、国際金融都市香港を中国から切り離そうとする動きであるからです。
ここまで問題が大きくなってくると、内戦と内乱の違いは何であるのか、という疑問に行き着くと思います。
実際、用語辞典においても明確な区別がなされていないのが実状であり、用語辞典においても「1国内における政府と反政府組織との武力闘争を内乱、内戦又は非国際的武力紛争という」と定義されています*1。
私の認識的には、内戦は「反政府が樹立され、現政府打倒を目指して武力衝突に至る」ことによって定義され、内乱は「現政府内で派閥同士が対立し、政権交代を目指して武力衝突に至る」ことで定義されるのかなと思います。代表的な例を挙げるとすれば、前者はスペイン内戦(1936年)や南北戦争(1861年)があり、後者はミュンヘン一揆(1923年)があります。
この認識に基づいて考えると、今回の香港臨時政府の樹立によって、民主派と親中派の対立から自然発生的に起こった香港騒乱は内乱から内戦にフェーズが上がったと言えます。
内戦は、交戦団体の承認が無ければ、国際的武力紛争に準ずることはなく、あくまで、国内問題の域を出ることはありません。そのため、内戦では国際人道法の適用はなく、国内法(国家転覆罪)が適用されたり、内戦当事者間の相互作用により、国際紛争以上に凄惨な状況に陥りやすい。
こうなってくると、中国政府は当然、デモ隊を交戦団体と承認せず、人民解放軍を投入するのではないかと思います。
いずれも香港島はこれまで以上に大変な状況になることが予想されるので、これまで以上に注視していくべきだと考えます。
今回はリハビリ的なものも兼ねて1本記事を書かせていただきました。これからも機会を見つけてこまめに記事を書いていきたいと考えていますので、また読んでいただければと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
Nao-Nao
★【ニュース】現状の韓国の外交政策の将来について★
おはようございます。
1週間ぶりの更新になります。お久しぶりです。Nao-Naoです。
本日は韓国の外交政策についてテレビに取り上げられることが増え、
関心を持たれる人が多くなってきたと思います。
連日、ニュースに取り上げられておりますので、ここには直近のニュースを何件か代表的なものを挙げておきたいと思います。
今回は、日本政府がこれまで行ってきた措置の一歩上を行くような考え方の1つとして、「金融制裁」について考えてみたいと思います。
現在、韓国の通貨「ウォン」と、日本の通貨「円」が揺れ動いています。
先般の記事で書かせていただきましたように、1200が「ウォン」のレッドラインであるとされてきました(実際に話を聞いたところによると、韓国は1200を基準として、為替介入をしている疑いがあるそうです。実際に1200をボーダーとして小刻みに動くレートで小金を稼ぐ投資家もいるのだとか…)。
ちなみに先般、日本円が売られ、ウォンが大量に買われるという不思議な動きがあり、一時、ウォン高に振れる気配を見せたのですが、予想に反してウォンの価値は下落、結果として韓国政府による介入は失敗したと評価されています。これに費やすのは「外貨準備高」ではないかと言われており、これを使って介入したのに、失敗したのであれば、韓国は外貨準備の面においても自滅行為をしてしまったと考えざるを得ません。
では、もし、日本が韓国に対して「金融制裁」を行なったらどうなるのか、通貨危機の再来となることは避けられないでしょう。
そもそも韓国の通貨である「ウォン」は国際通貨ではないローカルカレンシー(ソフトカレンシー)です。
ローカルカレンシーとは世界の外国為替市場(国際市場)において、流動性がほとんどなく、他国の通貨と自由に交換できない通貨のことをいいます。
これと対比する形のハードカレンシー(国際通貨)は現状、数が少なく、米ドル(USD)、ユーロ(EUR)、日本円(JPY)、英ポンド(GBP)、スイスフラン(CHF)等が挙げられます。
ローカルカレンシーは基本的に国際通貨ではないので、ドルや円等のハードカレンシーとの取引を通じて代替的に決済を行い、貿易等のビジネスを行わなければなりません。
しかし、昨年の11月にニューヨークに所在する韓国の銀行から北朝鮮への送金が確認され、現在、韓国の銀行はアメリカにおいて苦境に立たされています。
このことより、現在、韓国金融の大部分は日本の旧財閥を主軸とするメガバンク群によって支えられています。
例えば、輸出入に関して、韓国は日本の銀行の信用枠を活用することが多いのです。
なぜなら、もちろん韓国国内の銀行にもこの信用枠というのが存在するのですが、韓国の銀行自体の財務状況が優れないことから、信用枠がどうしても狭くなってしまっているのです。
そのため、日本のメガバンクが韓国の銀行に対して信用枠を与えて活動させているというのが本当のところなのです。
これは日本の輸出管理についての議題が持ち上がった際に韓国のサムスン電子の李在鎔副会長が日本のメガバンクにわざわざ出向いて話をしていたことからもある程度察しのつくところではないかと思われます。
つまり、日本のメガバンクが韓国の銀行に与える信用枠を制限するだけでも、韓国経済は今以上に大打撃を受けてしまうわけです。
日本は経済大国であることに胡坐をかかず、経済の拡大を目指しながら、切り札としての「経済カード」を常に切れるようにちらつかせながら、外交関係者間の対話を通じて着実に事実を積み重ね、このようなカードを「伝家の宝刀」として切らずに使っていただきたいと思います。
今回も長い記事を書いてしまいましたが、
最後まで見ていただき、ありがとうございました。
Nao-Nao
★【経済】韓国の抱える銀行業の問題点について★
こんにちは。Nao-Naoです。
今朝には暫定的ながら、日韓軍事情報包括保護協定破棄問題について記事を書かせて頂きました。こちらも読んで頂ければ嬉しいです。
日韓関係が悪化するにつれて、ウォン安に振れてきています。いわゆる「ボーダーライン」としては1200のレートがこれまで主張されてきました。
なぜ1200が「ボーダーライン」と言われるかについてですが、私が知るところによると、韓国は1200を超えてしまうと、危機感を強く感じ、暗に「為替介入」を行うのです。中国のように為替操作国には指定されていませんが、韓国がここまで為替に関して強い拘りを持つのは、アジア通貨危機の際の苦い思い出があるのかもしれません。
では、ウォン安が韓国の銀行業に影響を与えるのか、という点について述べていきます。
日本の場合で考えると、円安になれば、輸出産業は潤いますが国外旅行に行く方にとっては不利になります。もちろん、価値が下がるため外資系企業が持つ日本株の価値も下がることになります。
このことから、両面性を強く持つものと言えるでしょう。
しかし、韓国の抱える問題は「銀行業における外資系企業の影響力が強すぎる」点にあり、為替が日本以上に外資系企業の財布に直結している点にあると思います。
例として、旧国民銀行(政府15.2%)と韓国住宅銀行(政府22.4%)が合併して設立された国民銀行は2005年末の時点でBank of New Yorkが15.21%を保持する筆頭株主となっており、外資比率は85.68%になっています。
またウリィ銀行は当初、サムスン生命保険が6.6%の株式を持ち主要株主であったが、2005年末にはウリィフィナンシャルグループ(韓国預金保険公社)が77.97%持ち、外資比率も11.1%に上昇しています。このウリィ銀行は2009年にCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)が上昇し、ウリィ銀行ショックを引き起こした経験があるのである。
これは無事(?)公的資金の注入によって収束させることができたが、唯一、外資比率が少ない銀行がこの有様である。
また、外資比率が高い銀行としては、ハナ銀行(ゴールドマンサックス9.34%:外資比率72.27%)、新韓銀行(新韓フィナンシャルグループ100%:外資比率57.05%)、韓国外換銀行(ローンスター50.53%:外資比率74.16%)、韓美銀行(シティグループ99.91%:外資比率99.9%)、第一銀行(スタンダード・チャータード100%:外資比率100%)となっていて、韓国国内の大手銀行が名前を連ねている。
外資に依存するのは世界からお金を集めることには資するかもしれないが長期的には自国に資することは行いにくくなるということも考えられる。
このように韓国の銀行業は完全に外資に依存するようになってしまった結果、日本以上に外資の目を気にしなければならなくなってしまい、銀行業が為替に極めて影響を受けやすくなってしまったと考えられる。
これまで韓国の銀行業の抱える「外資比率」という問題点について述べてきたが、いつの日か日本が同じ轍を踏むことが無いように強く望みたい。
Nao-Nao