官僚になれなかった夏

はじめまして。ブログ初心者のNao-Naoと申します。このブログでは日常の時事問題や公務員試験の勉強・受験時の心構え、就職活動等について書いていきたいと考えております。何卒よろしくお願いいたします。

★【⑰】官庁訪問体験記 2019'★

こんばんは。

Nao-Naoです。

 

久しく間があいてしまい、申し訳ありませんでした。

仕事が忙しく、慣れない時差出勤というものも味わわせていただきました…

 

また、案外私の近くにもこのブログを見てくださっている方がいて、

凄く嬉しかったです。ぜひ諦めずに頑張ってくださいね。

意外と模試は難しい問題が出るものですから、模試を受けても凹むことが無いようにしてください。

そんな時は是非経営者の目線で物事を見るようにしてください。

もし、過半数が合格ラインすれすれぐらいだったら、みんな追加講座は取らないですよね…それなら、難しい問題を出して、受験生にはっぱぐらいかけるでしょう。

そういう視野を持って、勉学にも生かしてくださいね。

 

さて、だいぶ昔に書いたのでボヤっとしか覚えてませんが、文科省の3回目だったと思います。前回の分は貼っておきますので、また一読くださいませ。

 

nao-nao.hatenadiary.com

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情報共有の場と化した私のテーブルでしたが、他のテーブルの人々が呼ばれて行き、

帰ってくる人もいれば、そのままの人もいる、という恐怖の時間を過ごしました。

みんな、帰ってきた人に「どうだった?」「年次はどれぐらいだった?」「どんなことを聞かれた?」と質問攻めにしていました。

私も含めて凄い嫌な時間であったことは間違いないでしょう。

 

その後、時間が経過し、皆の疲労が顔に出始めた頃に担当者が入ってきます。

そして、「皆様、長時間にわたり、本当にお疲れさまでした。これから番号を呼ぶ人は荷物を全て持って、部屋の外に並んでください。」と矢継ぎ早に言い、番号が呼ばれ始めました。いわゆる「虐殺」が始まったのです。

さっきまで、疲労困憊としながらも健気に振舞っていた志願者が一人、また一人と呼ばれて行きます。もう皆覚悟を決めているのか、無駄なことは一切言わず、呼ばれなかった私達も、無言で見送ることしか出来ませんでした。

時刻はおおよそ18時頃…これで、部屋の3/4が消えたことになります。

中にはテーブルに一人しか残らなかったところもあり、すぐさま、他のテーブルから「一人にならず、こっちにおいでよ!」と助け舟を出してあげていました。

 

残った私達には別の担当者が入ってきて、「今から19時20分まで夕食を取ってください。5分前には必ずこの部屋に戻るようにしてくださいね。」と言い、夕食時間が始まりました。と言っても、また下のコンビニか食堂しかないので、今回は大人しく食堂を利用することに。

案外安く食べることが出来ましたが、皆、それどころではない様子でメモを読んだりしていました。奇跡的に私達のテーブルにはそのようなタイプの方がいなかったので、皆で文科省に入ったら何をしたいかなど、構想のブラッシュアップに時間を費やしたのを覚えています。

 

さて、部屋に戻ると、コンビニ飯を食べていたグループがもうすでに臨戦態勢に入っており、ドアが開く一回一回にびくびくしていました。

私自身は高を括っていたので、何とも思いませんでしたが、後日、友人に聞くと確かに心臓には良くなかったと言っていました(文科省の友人談)。

 

ここで、19時20分となり、また担当官がやってきて、3人程度の番号を読みました。そこに私の番号があり、慌てていくことに。

食後すぐに呼ばれると、お腹が膨れたばっかりなのに美味しくなくなっちゃうよ…と思いながら面接会場に到着しました。実際に、食後すぐは血流が胃や内臓諸器官に集まっているため頭の回転が鈍くなってしまいます。

だから、官庁訪問ではあまり食べすぎないように…

 

そこでは、研究開発局の年次高めの方がおり、凄く威圧感を出していました。あまり考える人はいないのかもしれませんが、私は年次が着実に上がっていることに対しての喜びが強く、威圧感などは無視していました。

年次が高く、引き出しが多いのにも関わらず、志望動機、ガクチカなど、極めてオーソドックスな質問ばかりされました。食いつき自体は非常によく、頷いてもくれますし、時折、「そういう体験、私もしてみたかったなぁ…」と言ってくださりました。

しかし、+αの質問は非常に鋭く、「なぜ今に多文化共生なのか、ドイツなどでは見直す動きもあるようだけど、あなたはどう思うのかな?」と突かれた時には正直、焦りました。

 

なぜなら、フランスやドイツは移民の増加によって社会不安が増大し、問題として表面化してきているからです。そこで咄嗟に出たのが「和の心」でした。

「外国からの方々を無条件に受け入れるのではなく、多文化共生には相手を許容する『和の心』を根付かせないといけない。そのためには許容ということをまず幼い頃から覚えさせないといけない。つまりは外国人も日本人と同じ道徳心を持たせる教育を国内外に伝播させる、そのための重要なキープレイスとしての日本である。だから、日本の成功した多文化共生教育を更に拡充し、宗教観などの壁も取り払えるようにしたい。それが出来るのは教育だけだと信じています。」と説明しました。

今から思うともっと上手い言いようもあったでしょうが、面接官からは「正直、ここまでの答えが出てくるとは思わなかった。君は打たれ強いね。そういうメンタルは恐らく官僚で最も求められるから、これからも鍛えていきなさいね。」と褒めていただきました。

 

待機室に戻った後、数人が呼ばれましたが、それ以外は動きが無く、21時を迎えました。みんないよいよ疲弊しきった頃、担当者がやってきて、「皆さん、長丁場、本当にお疲れさまでした。これから番号をお呼びするので、呼ばれた方は荷物を全て持って部屋の前に並んでください。」と言いました。

私は第二順で呼ばれ、部屋の前に並びました。同じく呼ばれたのは5人(私を含む)。担当者の先導で、階を移動し、5人まとめて会議室に通されました。

そこで、担当者の方から「本日はお疲れさまでした。当省といたしましては、あなた方のことを非常に高く評価しております。第2クールもお待ちしております。」と言われました。皆凄く報われたような顔になり、晴れやかな気持ちで文科省を出て、霞ケ関駅まで歩いたのを覚えています。

 

しかし、ホテルに帰ったのは22時、明日は内閣府官庁訪問があり、8時30分には入っておかなければなりません。温泉は泣く泣く諦めて、部屋風呂で我慢し、翌日提出する志望書を読みながら、床に就きました。

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これで、官庁訪問文科省編は無事に第2クール呼ばれるという形で幕を下ろしました。

官庁訪問という極限状態の中でも、文科省でも翌日行く内閣府でも大切な友人が幾人も出来ました。そういう心の余裕を持ちながら、読者の皆様には官庁訪問に行っていただきたいと思います。

 

次は、「可及的速やかに」書きたいと思っておりますので、是非ご期待くださいませ。また質問などある場合は、Twitterにて「官僚になれなかった夏」と検索し、気楽にDMを飛ばしてくださいね。

精神的に追い込まれる公務員試験、官庁訪問、気負わず乗り越えていきましょう。

 

これからも読んでいただければ嬉しいです。

それでは、また。

 

Nao-Nao

 

追伸

最新稿を書きましたので、是非続けてお読みください。

 

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