★【ニュース】「自衛隊の中東派遣論議」についての考察★
おはようございます。
Nao-Naoです。今回は趣向を変えて、今の政治状況でもお話したいなと思います。
今月21日に第25回参議院議員通常選挙が行われます。
野党支持の方々は、いつもいつも「与党の政治に鉄槌を!!」と息巻いていますが、実際に鉄槌を下せたことなどあるのでしょうか…
旧民主党が政権交代を成し遂げた際には、鉄槌等という物騒なワードはあまりお目にかかることがなく、平和的で建設的な(?)議論で進められていたような気がします(なお、実行されたかどうかは判断の分かれるところ)。
朝日新聞さんの記事にこのようなものがありました。
日本が憲法9条を持つことによって、中東諸国から信頼を得ているという内容の発言が書かれております。
しかし、本当でしょうか?
日本国憲法は1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された最高法規です。
この憲法が施行された時期の日本はどのような状態であったか皆さんは想像出来ますでしょうか。
MPが闊歩し、日本の警察官ではアメリカ兵の犯罪を取り締まることができない…日本に主権が無い状況下でした。
このような状況下で1950年に朝鮮戦争が勃発しました。朝鮮戦争については後の記事でまた書かせて頂きますが、この戦争において日本は海上保安庁の船舶及び人員を「朝鮮国連軍」(具体的にはアメリカ海軍の一部)に加えさせ、現在の北朝鮮にある元山という港において機雷掃海を行いました。この際に日本人が1名触雷によって亡くなり(現在においても行方不明のため、死亡と判断されている)、日本船籍の船舶も沈没しました。
このような内容が日本国内で報道されないわけもなく、新聞がしっかりと報じました。当時の記事では被害の大きさ等は誤りの多いものでしたが、「①日本が朝鮮半島に船舶及び人員を送ったこと、②日本人の船員が亡くなったこと」は正しく報じられていました。
では、このような記事が出た後の国会ではどのような議論がなされたのでしょうか。答えは、何の議論もなされることがなく、黙殺されました。
発言の自由が保障される憲法が施行されている日本の、国権の最高機関である国会において何の議論も、与野党から出されることは無かったのです。ヘタレ…情けないとしか言いようがないです。
ちなみに、1951年のサンフランシスコ講和条約調印後の新聞記事で、同問題が取り上げられた際に、野党は烈火の如く与党を攻撃しました。
「地獄の門を開けることに」と言いますが、1950年当時にGHQに負けず、もう少し建設的な議論をしていれば、変わっていたのかもしれませんね。
現実は、何の議論も当時はなされることはなく、吉田茂首相の「政治的判断」によって海上保安庁が送り出されることを「容認」しただけでした。
そう考えると、「地獄の門」を開けてしまったのは、他でもない、当時の国会議員全員だったのかもしれませんね。
では、また、記事を少しずつでも書いていきたいと思いますので、
何卒宜しくお願い致します。
Nao-Nao